カンボジアの歴史

1945年、日本の敗北に伴い、カンボジアは日本の統治より開放されたが、まもなくフランスによる間接統治が行われることとなりました。その間、カンボジアの人々の間では、独立に向けた気運が高まっていき、独立運動はシアヌークの主導の下、1953年に成功しカンボジア王国が成立しました。

しかし、世界が冷戦へと入っていくと、隣国ベトナムと大国アメリカの影響を受け、カンボジアもインドシナ戦争に巻き込まれることとなり、シアヌークによる統治は、「一時の平和」として終わってしまいました。

1970年には、アメリカの支援の下、親米右派であるロン・ノル国防相による軍部クーデターが起き、シアヌーク政權は崩壊し、ロン・ノル政権が成立することとなりました。その後、激しい内乱の末、台頭してきたのがポル・ポト率いるクメールルージュでした。

やがて政権を掌握したポル・ポトは、毛沢東思想をより過激に、原理的に推進していき、「原始共産主義」を目指し、医者や大学教授、あらゆる知識人を「粛清」していきました。外国語がしゃべれるというだけでも知識人とみなされたり、ポル・ポト政権に反対意見を唱えるものは、次から次へと虐殺されていき、300万人もの人々が虐殺されたとも言われています。

その後も、ベトナム軍の進駐や、激しい内戦の継続など、不幸の歴史を歩んでいき、国土は荒廃し、国の基礎は崩壊していきました。

やがて、1991年には全ての当事者の間でパリ和平協定が成立し、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)管理のもとで、1993年に民主的な総選挙が行われ、立憲君主制、民主主義、自由主義経済を掲げる「カンボジア王国憲法」が採択され、北京に亡命していたシアヌークを国王とするカンボジア王国が成立することとなりました。

しかし、繰り返された悲劇の歴史の中で失われた国の礎を再建することは決して容易ではなく、国土のいたるところに埋められたままの地雷や、整備されているとは呼び難い、教育をはじめとするインフラの不在は、依然としてカンボジアにとっての重大な問題です。

地雷撤去や、学校建設。様々な団体が、様々な方法で、支援活動を行っています。「支援活動」というと、いささか聞こえが良すぎる気がしますが、同じ人間として「機会の均等」を望み実際に活動することを、いまある言葉で表現するならばこうなるのでしょう。

コンピュータという、昨今の世の中で重要な「情報ツール」をカンボジアに送ることで、まずは先生たちに、そしてカンボジアの未来を担う子供たちに、私たちと同じような「機会」が生まれることを切に望むばかりです。


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